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Moved So Move

曲や歌詞について考えます。アメブロから引越し中です。

星野源「恋」 歌詞の意味

今回は、星野源さんの「恋」の歌詞について自己解釈しました。

 

 水曜10時のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌です。

 

 

 

ドラマの面白さももちろんですが、

 

「恋」の曲自体も非常に素晴らしいです。

 

 

 

中国っぽいイントロで始まったかと思えば、

 

前作『YELLOW DANCER』から続くイエローミュージックの流れあり、

 

そして歌詞は『ばかのうた』のころの「老夫婦」や「茶碗」を思い出すような

 

日常を歌っていて、、、と

 

この一曲が星野源さんベストのようになっています。

 

 

 

ちなみに、イエローミュージックというのは、

 

ブラックミュージックと、日本人ならではの情緒あるポップスを融合させた音楽のことだそうです。

参考; 星野源『YELLOW DANCER』特設サイト

 

 

 

 

 

では、歌詞について書いていきます。

 

 

 

『恋』星野源
(作詞・作曲:星野源) 
 

     営みの 

     街が暮れたら色めき
 

 

夕方、それぞれが仕事や学校などが終わりオフを楽しむ時間になって、

 

ワクワクしている街の様子。

 

 

 

ただ、このワクワクの感じから一転、

 


     意味なんか 

     ないさ暮らしがあるだけ

     ただ腹を空かせて

     君の元へ帰るんだ
 

 

というのは、感情関係なく日常生活のルーティーンとして述べられています。

 

お腹が空いたから食べる、のと同じで

 

生理現象の一部として君の元に帰るようになっています。

 

 

 

つまり、君といる日常生活が当たり前になっているということです。

 

 

 

 

 

 

 

それに対してサビは、

 

当たり前だと思ってはいけないと歌っています。

 

(Bメロについては後程述べます)

 

 

     胸の中にあるもの

     いつか見えなくなるもの

     それは側にいること

     いつも思い出して
 

 

 

 

“胸の中にあるもの”、つまり恋という気持ちは

 

ずっと一緒にいると段々気づかなくなってしまう。

 

けれど当たり前なんてないのです。

 

それは、2番の歌詞の中にもでてきます。

 

 

     みにくいと

     秘めた思いは色づき 

     白鳥は運ぶわ

     当たり前を変えながら
 

 

今までは自分でみにくいと思っていたことも、

 

誰かに恋をしてからはそれが愛おしいものになった。

 

それまでの自分の当たり前や先入観が

 

恋をすることによってどんどん塗り替えられていきます。

 

 

 

恋には、予想外の事や、自分でも信じられないようなことをおもったり行動してしまう力がある、ということを表しているように思います。

 

 

 

この歌詞の中で、急に出てくる“白鳥”という単語は

 

“みにくい”という言葉の対になっていると考えました。

 

みにくいアヒルの子が綺麗な白鳥に変化したように、

 

みにくい想いは美しいものになった、という比喩です。

 

 

 

 

 

 2番のBメロには、


      恋せずにいられないな

 

 とあります。

 

 

 

なぜ恋せずにいられないのか。

 

それは、愛は恋から発展するからです。

 

 

 

 

 

私は、

 

 

 

恋・・・不安定で、自分本位なところがある 

 

愛・・・安定していて、見返りを求めずに相手を想う気持ち

 

 

 

と考えています。

 

 

 

愛は恋が進化したもの。

 

けれどその愛も、元を辿れば恋をしたという気持ち。

 

 

 

1番のBメロの、

 


     この世にいる誰も

     二人から
 

 

という歌詞も、

 

誰もが二人が愛し合った末に生まれた人、つまり原点は恋であるということを言っています。

 

 

 

愛も、私たち自身も、その原点は“恋”という感情。

 

だから恋せずにはいられないのです。

 

そして、そんな私たちの大本になっている感情だからこそ、

 

当たり前にしてはいけないと言っているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

さて、この曲の中で最も重要かつ最も気になるフレーズ

 


     夫婦を超えてゆけ
 

 

についても考えたいと思います。

 

 

 

最初に見た時、

 

タイトルが「恋」なのに「夫婦」?という疑問が浮かびました。

 

「夫婦」という言葉から連想するのは、恋よりも愛という言葉だったからです。 

 

ですが、先ほど述べたように、愛の原点は恋です。

 

つまり、夫婦になったからゴール、ではなくて

 

恋の不安定さやドキドキ感を通り過ぎ、2人が一緒に居る日常を生きる人々にも、

 

原点にある恋する気持ちを忘れずに!と歌っているように思います。

 

 

 

 

 

 

 

また、いくつか星野さんのインタビュー記事で見ましたが、

 

この曲で言う恋は、恋人、夫婦、などに限らず片想いや2次元のキャラクターに対してなど、

 

その対象はさまざまみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

事実婚で籍を入れていないカップルや、同性同士のカップル、

 

実在しない相手に想いを寄せる人、叶わない相手に恋をする人、など

 

いろんな恋の形があります。

 

 

 

だから、夫婦という既存の形にとらわれず、

 

どんな恋の形でもいいんだと肯定してくれるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の歌詞には、この


     夫婦を超えてゆけ
 

 

の後に、


     二人を超えてゆけ

     一人を超えてゆけ
 

 

 

 

とあります。

 

ここの解釈が相当難しいのですが、

 

原点 の考え方を使うと、

 

 

 

夫婦<二人<一人(原点)

 

という事ではないかと思います。

 

 

 

夫婦、という枠組みを超えた関係になる。

 

それは、もともと別の二人の人間だったから、

 

距離があったから恋をすることが出来た。

 

 

 

そしてその恋という気持ちは一人から生まれてきたもの。

 

 

 

すべての始まりは一人が恋をしたこと、です。

 

 

 

夫婦に当てはまらなくても、二人に当てはまらなくても、

 

一人には誰もが当てはまります。

 

恋をして、それまでの自分の中での当たり前が変わる。

 

自分の殻を破ってゆけ、そんな意味も含まれているかもしれません。

 

 

 

この“一人を超えてゆけ”という言葉は、

 

恋をするすべての人に向けられたものだと解釈できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かなり勝手な自己解釈になってしまいました。

 

また考えて他の解釈が浮かんだら、追記したいと思います^^

 

 

 

 

 

ちなみに、カップリングの「Drinking Dance」は

 

恋をしていない人に向けた歌だそうです。

 

 

 

この2曲で、全人類(すべての生き物)対象のCDですね!

 

 

 

 

 

新垣結衣さんが踊る、恋ダンスもめちゃくちゃ可愛くて何度も再生しています。

 

水曜日が楽しみです♪

 

 

 

では^^
 

KANA-BOON 「さくらのうた」と「桜の詩」の比較

季節は真逆ですが、今日はKANA-BOON
さくらのうた」と「桜の詩」についてです。
この記事は以前アメブロに書いたものを再編集したものです。
 
 
 
さくらのうた」は2013年に出されたアルバム「僕がCDを出したら」に、
「桜の詩」は2014年に発売されたシングル「結晶星」のカップリングとして
収録されています。
 
 
 
 
読み方も同じこの2曲は対になっていて、
さくらのうた」は男の子目線、
「桜の詩」は女の子目線から書かれています。
 
2曲とも、別れた後もお互いのことを想っている気持ちが描かれていますが、別れた原因は描かれていません。
 
さくらのうた」は、男の子が別れた彼女にまだ未練を持ってて後悔の歌、というイメージ。
なんで別れたのか、なぜ終わってしまったのかわからない。
まだやり直したい、って思っている。
でも曲調が明るいので、聴いてて重苦しい感じは全くないです!
 
 
一方「桜の詩」は、別れてから月日が経ったあとの女の子の気持ち。
2曲を聴いていて、女の子から別れを切り出したのかなという予測ができるけれど、女の子も未だ彼氏のことを想っている様子。
さくらのうた」で男の子は自らを子どもだったなぁという風に言っているし、女の子側の方が大人で、別れたのも2人のことを考えてより良い未来を考えた結果なのかなぁと。こちらは曲調からも歌詞からも切なさが溢れてきます。
 
けれど、
叶わない、叶わないけど構わない
そう言える、そんなただ強がった大人になりたいんだけど
とあるので、彼女も大人なわけではない。言ったことは本心ではないようです。
 
 
さくらのうた」は素直に男の子の気持ちがわかりやすい言葉で表現されているな、という印象で、
「桜の詩」は文学的だな、という印象です。
ここからも、女の子の方が精神年齢が高かったのかなって予想ができます。
 
 
 
他にもこの2曲を並べて比べると面白い部分がたくさんあります。
 
 
「桜の詩」のBメロのギターが、「さくらのうた」のイントロと同じだったり、
 
タイトルにもなっている、2人一緒に歌った「うた」が2曲ともにでてきたり。
 
 
 
 
こうやってどちらの歌詞も見ていると、歯がゆい気持ちになります。
お互いまだ想っているのに!と笑
 
 
これをまったく違う曲調で歌うから、さらにいいです!
 
 
「大切なのは形ではなく記憶に残る彩りなのだ」
 
というセリフが出てくるなんて、絶対傑作小説だと思います!ぜひ読んでみたい!
 
 
 
 
今回は歌詞の引用は少なめです。
勢いのある彼らの曲とはまた少し違う、切なさが良いです!
ぜひ2曲比べて視聴してみてください^^

星野源 「兄妹」の歌詞の意味

この記事数で早くも3曲目の星野源さんです!

今日10/5発売のシングル「恋」も、前回のアルバム同様明るく踊りだしたくなるような素晴らしい曲ですが、

今回は『ばかのうた』に収録されている「兄妹」について考えてみました。

 

『兄妹』/ 星野源

(作詞・作曲:星野源

 

歌詞:http://j-lyric.net/artist/a0512cf/l02134a.html

 

 

 

一見、幼いころの兄妹の日々を歌った

ほのぼのソングだと思っていたのですが、

よく歌詞を聴いてみると、そうではないです。

 

1番はほのぼの。

兄妹で仲良く駆け回るような日々の暮らしが描かれています。

 

でも、2番では、

生まれてないし 居場所がないの

ふてくされてる 笑顔見せて兄妹

や、

眠るしか 夢でしか

逢えないように できている

とあります。

 

どうやら兄妹のどちらかは、生まれてくることのできなかった命を指しているようです。

 

そう分かると、ほのぼのしていた1番の意味合いも変わってきます。

横になって 端に寝るよ

いつも愛が漂う

は、実際に隣で寝ているのではなく、

居場所のないあの子の気配を感じるために、一人だけれど端っこで寝ていたようです。

 

幼き日々を思い出していたような歌詞は、

もし本当に生まれていたら、を想像したもの。

 

 

じつは切ない歌詞だけれど、曲調のおかげか明るく聴く事ができます。だからこの曲大好きです。

 

そして何よりこの曲を作ることによって、あの子の生きる居場所を作った星野さんの愛情を感じる曲です。